前のページに戻る

                      イモガラ船長、回航日誌 <はじめての回航>

2006年 9月 26日
船舶回航ボニータ 成田弘志氏

イモガラ船長は、回航屋である。
この仕事を始めて十五年、正確にいうと二十五年ほどにはなるはずだ。
船長はこの仕事を始める前には、漁師をしていた。
カツオやマグロの引縄漁にトラフグの延縄漁をしていた。時折、造船所や鉄工所に頼まれて沖縄に漁船を回航していた。

イモガラ船長がはじめて他人の船を回航したのは二十数年前、正確には覚えていないらしい。
船はFRPの漁船、四トンほどの船体に130馬力のディーゼル、今思えば手におえず遅い船である。
沖縄の漁師親子が宮崎の中古漁船を買ったのは良かったが、沖縄までどうやって運ぶのかで困ってしまった。
仲介に入っていた鉄工所がイモガラ船長を沖縄の親子に紹介したのだ。

漁船にはエンジンと自動操舵装置以外にはコンパスしか航海機器はなかった。
当時の航海機器は今のようにGPSなどはなく、使いにくいロランAからようやくロランCへと移行し始めた時代だった。
その自動操舵も壊れて使えないので手動で舵はとるようにと鉄工所には言われていた。

  宮崎の港を沖縄の親子とイモガラ船長の三人で出航したのは七月の末頃だった。
船はイモガラ船長が乗っていた木造の漁船より確かに速かったが、それでも10ノット程度の速度で梅雨明けでベタ凪ぎの日向灘をどろどろと南下した。
壊れていると言われた自動操舵機を試して見た。
管制器が動作するとコンパスの針が磁石に引き付けられたり反発するように大きく振れた。
管制器のすぐ横に取り付けてあるコンパスを外し管制器から出来る限り離れるように足元へ移動させてみた。
自動操舵機は正常に動き始めた。
  
船の調子を見ながら約十時間ほどで屋久島の東側の安房港へ着くと燃料のA重油を積み込みすぐに出航した。
ワッチを交替しても休む場所もない狭い船内では三人ともさすがに疲れトカラ列島の口之島に寄港し仮眠をとることにした。
四、五時間休んで夜明け前の東シナ海へ出航した。
夏の空には満天の星が輝き、夜陰に活火山の島、中之島が見えた。
中之島を過ぎ奄美大島へ舵を向けた。
黒潮のど真ん中の潮は西から東へ激しく流れていた。

ワッチを交替して沖縄漁師親子のイモガラ船長と同年の息子Kが見張りに着いた。
イモガラ船長が狭い船室で寝ていると息子のKが船を止め機関室にもぐりこんだ。
イモガラ船長も起き上がり様子を聞くと「冷却水のホースが破れて海水が機関室に流れ込んでいる」という、清水を冷却するヒートエクスチェンジャーからオイルクーラーへの90度に曲がったホースが破れていたのだ。
船内を探しても代用品はなく、破れた部分にそこらにあった布をかぶせたが、巻き付けるのに適当な物が見当たらなかった。
針金かガムテープで何とかなるのだが船内あちこち探し回ってもガラクタは一杯あるのに役にたちそうな物がないのはよくある事だった。
イモガラ船長がふとマストを見るとロランAのアンテナが目に入った。
ロランAなど使う者はいない。
イモガラ船長はアンテナを何のためらいもなく切った。
アンテナには太目の銅線が入っていた外側の被覆を剥がし銅線を巻き付けた。
海水の漏れはにじむ程度に収まった。

ホースに無理をかけないようにエンジン回転を下げ奄美大島の名瀬を目指した。
船は名瀬の港に昼頃着いた。着くと早速ホースを探しにあちこちの鉄工所や機械屋を回った。
ある機械屋で主人らしい中年過ぎのおやじが出て来た。
船から持ってきた破れたホースを見るなり主人はひと言
「ない、」と言い切ったがすぐに「あんたら何処から来た?」と聞いた。
イモガラ船長は宮崎から来たことを話すと主人は「宮崎は戦時中には疎開で世話になった所だ。宮崎では一度もいやな思いをしたこはなかった。宮崎の人にはお返しをせんといかん。」と言った、倉庫に入り込むとしばらくして埃にまみれたホースを持って出て来た。
ホースの形状はいくらか違っていたが、内径がぴったり合っていた。
少しゆがめてホースバンドで締め付けると充分役に立つ代物だった。
代金も受け取らない主人に礼を言ってKとイモガラ船長は意気揚々と船に帰った。

船では沖縄親父が浮かぬ顔でイモガラ船長達を待っていた。
台風が沖縄に近づいていた。
奄美から沖縄への予定の航海時間は十八時間、台風が沖縄へ最接近する時間は三十六時間後らしかった。
ぐずぐず出来なかった。親父はさらに「船首から海水が入ってこの船は沖縄に着く前に沈む、船を名瀬に置いて帰る」と言い始めた。
Kとイモガラ船長はホースをエンジンに取り付け、船首の浸水箇所を点検した。
浸水は喫水よりはるかに高い防舷物を取り付けるボルト部分からだった。
それも船首が波にぶつかった時にたらたらと入る程度で沈むようなものではなかった。

翌日の早朝に名瀬の港を出航をいやがる親父を乗せて出航した。
北上する台風と南下するイモガラ船長達との競争だった。
船は徳之島、沖永良部島のそばを通り、与論島を遠くに見て辺土岬の東を目指した。
島のそばを抜け次の島が見えなくなると、沖縄漁師親子は沈んだ。
そして次の島が見えてくると口数が増えた。親父は「湾から出た事がないから」と言って恥ずかしがった。
  
沖縄本島の東側にたどり着いた時には日は沈み暗くなっていた。
与論島が見える頃から大きくなっていたうねりは南下するほどに大きくなっていた。
南北に長い日本列島をミニチュアにしたような沖縄本島の東岸を五時間ほど南下した。
島に近寄ると夜目に珊瑚礁に砕ける大きな波が見えた。
中城湾深く入った馬天港が目的地だったが、イモガラ船長には湾内の航路は分らなかった。
金武湾沖を過ぎると中城湾の入り口に門柱のように浮かぶ津堅島が見えてきた。
津堅島の灯火を認めるや親父が元気をだした。
暗闇に山のように盛り上がっては珊瑚礁に砕け散るうねりが見えた。
親父はイモガラ船長から舵を奪い取ると怒りが形になったようなうねりの盛り上がる湾口へ舵を向けた。
見上げる波には隙間が合ってそこが中城湾の入り口になっていた。
そこは子供の頃から慣れしたんで来た親父の庭先だった。
親父と息子のKは阿吽の呼吸で陸地の灯火類を読んでは船を巧みに操って馬天の岸壁に船を横付けにした。
イモガラ船長と沖縄の漁師親子はなんとか台風との競争に勝ったのだった。
   
イモガラ船長にとってはじめての回航は台風との競争であった。
その後沖縄の漁師親子は湾から出て外洋のソデイカ釣りやパヤオでのカツオやマグロ漁にも進出していったらしい。



前のページに戻る