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![]() 【期間】 平成16年4月29日〜5月8日(10日間) 【乗組員】 船長 :合田秀樹 料理長:近藤正晴(通信長兼任) 通称 「近チャン」 航海士:川崎周一郎 通称 「オッサン」 漁労長:川田 茂 通称 「シゲル」 *勝手に決めてごめんなさい 【特別参加】 :磯崎達雄・大山勝巳・福岡寿一各氏 【行程】 1日目(4月29日) :多度津出港−中島大浦入港 (69.6マイル) 2日目(4月30日) :中島大浦出港−佐田岬入港 (69.6マイル) 3日目(5月1日) :佐田岬出港−土佐清水入港 (76.4マイル) 4日目(5月2日) :土佐清水出港−須崎入港 (59.7マイル) 5日目(5月3日) :須崎港ウエイティング 磯崎達雄・大山勝巳両氏陸路特別参加。 6日目(5月4日) :須崎港ウエイティング 福岡寿一氏陸路来艇。 前田信男氏(須崎YC)来艇。 高橋昌二氏来艇 7日目(5月5日) :須崎出港−奈半利入港 (60.0マイル) 磯崎・大山両氏乗艇、シゲル氏陸路回送 8日目(5月6日) :奈半利出港−日和佐入港 (59.7マイル) 9日目(5月7日) :日和佐出港−淡路島福良入港 (49.1マイル) 10日目(5月8日) :淡路島福良出港−多度津入港 (65.2マイル) 【航海データ】 ●船種 ウエスタリーリビエラ35ft エンジン ボルボ2003T(今回は2500rpmを巡航回転とした) ●全航行時間 :65時間12分(3,912分) ●全行程距離 :800キトメートル(498マイル) ●燃料総使用量 :250リットル ●1日平均航行距離:100キロメートル/日 ●1日平均航行時間:8時間9分(489分)/日 ●1日平均使用燃料:32.25リットル/日 ●平均速度 :12.42キロメートル/時間(6.7ノット) ●時間当たり燃料 :3.83リットル/時間 *平均速度の計算は船が離岸(出港時刻)してから、接岸(入港時刻)迄の時間で計算したものであり、港を出た時(出港時刻)から、入る時(入港時刻)迄の時間で計算したならば、平均約7ノットくらいの艇速となる。 ![]() 昨日はオッサン・近チャン・私の3名で食料・飲み物(ビール)他を買い出しした。 荷物が多いので、係留場所から県営浮き桟橋へ仮係留し、(港務所の許可)荷物の積み込みを行った。(4人の荷物・自転車2台・ビール・ガス式クーラー他) 一旦解散、夕刻全員船に集合し荷物の整理を行った。 Bow roomに私が1人、Stern roomにオッサンとシゲル両人が、Main roomに近チャンが寝ることにした。(Bow roomにはドアーが有り静かな事で私が、Main roomは無線機が有り通信長は無線機と寝たい希望で) 22時頃まで団らんを取り、早寝した。 03:00起床、「こんなに早く起きるのは何十年振りだろうか」、眠い目をこすりながら出港準備を行う。 天気も良さそう、いざ出港! *1日目(4月29日(木)) 03:40多度津出港 晴れ 無風 波高0.5m 多度津港を出ると、知っている海域ではあるが、今の時期は流せ網の漁が盛んなので見張りがいる。 GPSの照明が目に入り前方の視認が困難な為、輝度を調整し下げる。 六島の灯台を狙って270度で西進、粟島の北の端を通過する頃より、東の空が明るくなり始めた。 庄内半島迄にご来光があり、航海の無事を祈る。 燧灘へ出てからオッサンの案で来島海峡通過を止め、宮窪瀬戸を通過する事に変更し、一路本船上り航路の南端を逆行して最短コースで航行。 06:30 近チャンが腕を振るってつくった朝食、飯・みそ汁・生卵・海苔・沢庵・ラッキョ、あー美味い。 宮窪瀬戸は初めてなので、後方から来た本船を先に交わして追走した。 10:50 順汐に乗り9ktオーバーで、本船も少なく難なく通過出来た。 12:00 昼食は特別ラーメンを食したが、値段の通り美味かった。 中島大浦港入港すると、中央桟橋で大声を出して、手を振るので近づくと、「港内工事中なので向こうの本船に横抱きしてくれ」と指示された。 13:25 本船「栄徳丸」に接舷。早速自転車2台を下ろし、オッサンとシゲル両氏が散策に出る。 2人帰って来たが何もないとのこと。残念! 夕食は缶詰とビール、22:00迄団らんし早寝する。 航行距離:112km(69.6マイル) 航行時間:9:45 平均速度:11.8km/h(6.37kt) *2日目(4月30日(金)) 05:45中島大浦出港 晴れ 無風 波高0.5m 朝食は、飯・みそ汁・生卵・海苔・沢庵・ラッキョ昨日と同じで美味い。 近チャンの発案で、箸を個人管理する事で塵を減らせる上に、洗う手間が省ける。 実行しているが、割り箸では使い捨てる為塵が増える、なるほどと感心する。 朝食も終わった、風も無い、オートヘルムに任せてのんびり、ゴソゴソとシゲル氏が何か持ち出してきた。 ピカピカのトローリングセットだ! 彼はこの航海のために購入して密かに持ち込んでいたようです。 早速セットしてトンボを流す。 少し艇速が早いのか時々トンボが飛んで反転して潜ったりしている。 艇速は7ktオーバー、私の経験で5kt以下(出来れば4kt付近)でなければ釣れないと思ったが、それも魚種によるだろう。(私が過去トローリングで釣った魚種は、メジカ・太刀魚・エソくらいである) 10:45船体が振動し艇速が落ちる、ペラに何か絡んだと思いアスタンで回転を上げると、ガラ藻の切れたのが船尾に流れ出た、OKと思いゴーヘイするが振動が未だ残っている。 3回ほど繰り返してやっと正常になった、注意して周囲を観察すると、ガラ藻の集団が幾つも流れている、注意して航行する。 昼食は特性ラーメンとシゲル氏が持ってきたパンで済ます。 佐田岬の先端が見え始めた頃から艇速が落ち始める、逆汐になったようだ。 岬の先端にさしかかった時は、完全に逆汐で汐は湧き波立っている、洗岩の目印を横目に見ながら大きく迂回するが、艇速は4ktを切りそうになる。 岬の先端を大回りして、暗礁の上を通過すると嘘みたいに海面は穏やかである。 但し、艇速は5ktオーバーしか出ない、岬の奥から先端に向かっての潮流があるようだ。 14:10佐田岬入港前に夕食の予約しておいた民宿「大岩」さんに電話する。 岸壁迄案内に来てくれるとの事、安心して入港すると、男性が1人手を振りながら来るのが見えた。「大岩」さんの主人である、「槍付けならここへ!横付けならあそこに!」、とのことで少し遠いが防波堤に横付けする。 14:20接岸。 「大岩」さんの建物は6階建で煉瓦色なので直ぐわかるが、港の防波堤を一回りしないと行けないので7分程掛かった。 食事迄の時間に展望風呂(¥500)へ入ることにした、5階に風呂が有り、そこからは港全景とその向こうに三崎町が見え絶景でした。 いよいよ食事だ。 案内された場所には料理と貝類が並んでいた。 早速ビールを注文し、「航海安全を祈願して乾杯!!」 結局4人で8本(大瓶)飲んで、腹一杯で船に帰る。 佐田岬港は第四種漁港で漁船のマナーは良く、早朝に出港する船の引き波は全くわからなかった。 →写真右上【民宿「大岩」での夕食の一部】 航行距離:112km(69.6マイル) 航行時間:8:35 平均速度:13km/h(7kt) *3日目(5月1日(土)) 05:30佐田岬出港 晴れ 西風2〜3m 波高1m 少し風はあるがセールを出してもプラスにはならないので機走する。 朝食を終え、西北西の風が少し吹き始めセールUPした。 08:00日振島を通過、追い波でオートヘルムが仕事仕切れず蛇行が止らない。 やむなく交代でヘルムスマンを努めることにした。 一人30分交代でヘルムスを行ったが、出航直前に私が造ったヘルムスチエアーと簡易フロアーが役に立ったと一人喜んだ。(英国人に寸法を合わした構造の船で日本人には寸法が合わない、身長の低い人はキャビンに遮られて前方の視認が困難) ヘルムスチエアーと簡易フロアーで身長の低い近チャンとシゲルの両人でも、座っても立っても前方確認OKであった。 今日は、「浪子町」の富井さんが宿毛の片島港に入港予定である、携帯を取り出し電話メモ検索するも、富井さんが出てこない??それではとメモを探したが、これ又積み忘れたのか無い、無い、無い、やむなく連絡を中止した。 昔、よく行った磯釣り場、御五神島を左に、鵜来島・水島群礁を右に見ながらの機帆走、オッサンが「十分時間があるから足を伸ばそう」と言い出した。 片島の次は足摺港か土佐清水港があり、その向こうは足摺岬を越える迄港が無い。 大昔(40年程前)土佐清水で一泊し、一晩飲み明かした時の事ことを思いだし、片島港をパスして土佐清水港に入港決定。(富井さんは仕事の関係で出港してなかった) 12:30右に沖の島を見て通過、又大昔行った柏島と磯場を左に見て懐かく思いながら通過する。 写真↑【(御五神島)】 少し進んでヨット2隻を確認した、高知方面からこちら向きのようである。 やがて双方が近づきデッドスローにして声を掛ける、「我々は四国一周中です、何処へ行っていますか?」「高知から宇和島パールレースに・・・」「御健闘を・・・」お互い手を振って行き交った。気持ちイイー・・! 足摺岬港の2km程沖で海面を動く物体発見、近づくとシーカヤックだった。 足摺岬の方向に1人で何処へ行っているのか?疑問を残しながら離れた。 土佐清水港は北西方向から入港するには港前方に伸びる暗岩・洗岩に注意が必要である。 GPSの画面を拡大し、それを見ながら大きく迂回してそれを避けて入港した。 15:05土佐清水一番奥の岸壁に横付けした。早速、オッサンとシゲル両氏が自転車で市内散策出る。 接岸した公共岸壁の護岸敷と道路を挟んで「たけだ石油店」がある。 私と近チャンで石油店に行き、燃料補給を依頼すると「船まで持っていきます」とのことで、船に帰ると直ぐにタンクローリーがやって来た。 130Lの給油を終え「たけだ石油店」まで支払いに行った。 免税証が切れていたので¥11,270支払った。(¥5,000程損した気分) やがて自転車部隊が帰ってきて「近くに銭湯が2軒とサニーマートも近くに有り、ここは便利エエゾー」早速4人そろって銭湯「旭湯」(¥330)へ行った。 番台のお嬢さん?に「石鹸ありますか?」「これ使って下さい」全員タダの石鹸を使わせてもらった。 帰りにサニーマートへ寄り、夕食のにぎり寿司・刺身を購入、船へ帰ってビールを飲みながら夕食を取る。 まだ夏が来てないのに蚊が居るので蚊取り線香に火を付けて寝る。ラットを握る筆者(写真↑) 航行距離:123km(76.4マイル) 航行時間:9:30 平均速度:12.9km/h(6.7kt) *4日目(5月2日(日)) 04:55土佐清水出港 晴れ 無風 波高1m 06:00足摺岬通過、海豚の群に出会うが10分程で見えなくなる。残念!! 朝食は何時もと同じ、飯・みそ汁・生卵・海苔・沢庵・ラッキョで美味しい。 低気圧が近づいているせいか薄曇りとなり、波が高くなってきた。 興津沖に差し掛かった頃からローリングが大きくなり、波高も2mになった。 「ガシャガシャーン」電子レンジと卵専用クーラーが吹っ飛んだ! 幸い卵が1個割れただけの被害で終わった。 須崎も近いし、揺れも大きいので昼食はビールで我慢する事にした。 上ノ加江沖でシングルハンドの24ftくらいのヨットに行き交うが、こちらが手を振って声を掛けたにもかかわらず、何の返事も返って来ない、折角近づいてデッドスローにしたのに・・・・。 須崎は家内の実家があり最低年2回は来ているし、義父・義兄が生きていた時は漁船を所持していたので、須崎港からよく船釣りに出ました。 そのせいで須崎港は良く知っているつもりでした。 須崎港の前迄来ると、以前には無かった防波堤(津波防止)があり西側から入港しようとしていると、漁船(監視船)が来て東側から入港するよう指示され、慌てて東へ転針迂回して入港した。 港の中は以前と変わりなく知った港で有る。 一番奥の避難港へ入港し、漁船に係留可能な場所を聞くと、「工事中の為あそこなら大丈夫」と教えてくれた防波堤に横付けした。 13:20須崎港(一番奥の避難港)接岸。 自転車部隊2名は自転車を下ろし、早々に散策に出かけた。 入口を挟んだ向こう側の防波堤で声がするので見ると、数人がこちらを覗きながら話しかけてきた。 須崎ヨットクラブのメンバーでした。 近チャンと2人で港の中を一回りして、挨拶に出かけると、皆自分のヨットの係留をやり直しているところだった。 仕事の邪魔をしないように少し居て引き上げたのですが、この避難港の奥側3面の岸壁と防波堤を白線で仕切り、定置アンカーを入れロープまで付けて¥4万円/年で県が管理するとの事であった。 香川県では考えられない事だ、羨ましい限りである・・・・。 夕食は、鰹の叩きと刺身、それと寿司・ビールで話が弾んで居るとき、携帯にコールがあった。 家内からだ・・・、今日は家内と娘が家内の実家へ来ている、実家へ風呂に入りに来るようとの伝言だった。 皆に伝えると、行くことになった。 雨がポロポロ降り出したので、ドジャーと簡易にブルーシートを張ってコクピットの雨対策を行ってから出かける。 傘をさして徒歩で約5分、わいわいしゃべりながら行くと直ぐ着いてしまった。 勝手知った家内の実家、とはいかないが、玄関を入った横の応接室でテレビを見ながら1人づつ風呂に入る。 4人が入り終えたのは20:30。 それから船に帰ったのは20:40、この調子(天気予報によると低気圧が近づいている)じゃあ明日は須崎でウエイティングだ、決定。 それならと夜半まで宴会となる。(嬉しいやら?悲しいやら?) 航行距離:96km(59.7マイル) 航行時間:07:25 平均速度:12.9km/h(6.97kt) * 5日目(5月3日(月)) 須崎港待機 朝から雨 朝食は定例の飯・みそ汁・生卵・海苔・沢庵・らっきょ、これが美味いんだ!! 今日は時間もたっぷりあるので、娘の車を借りて買い物に行くことにした。 家内の実家迄歩いて行き、車を借りてスーパー「ゆたか」へ行く、うつぼ・鰹の叩と刺身を買って帰る。 自転車が1台パンクしていたのを、帰って気が付いた、再度ホ−ムセンターに出かけて、パンクセットとポンプを購入してから車を返した。 パンク修理は本職のオッサンにお任せ・・・はい、OK。 昼食は、うつぼと鰹の叩き、鰹の刺身・寿司とビールを食した。 あー美味い。 うつぼも美味いし、上り鰹も美味い。 うつぼの叩きは須崎が発祥だから、須崎へ行ったときは必ずうつぼの叩きを食する事にしています。 昼食後の団らんしているとき、磯崎氏から電話が入った。 「もう少ししたら須崎向けで出発します。」皆喜ぶ。 15:00磯崎・大山両氏到着。 GWの為渋滞で遅くなったようだ。 車で来たついでに買い出しに、磯崎・大山両氏と道案内にシゲル氏が出かける。 磯崎・大山氏からビールの差し入れもあり、夕食を兼ねて宴会となる。 この日は磯崎・大山両氏も船で宿泊し6名で遅く迄団らんした。 * 6日目(5月4日(火)) 須崎港待機 曇天(時折小雨) 今日は波高4mの情報、娘の車のパワーステアリングから音が出ているので、友人の福岡氏(自動車修理業)に電話する。 車を修理するのは帰ってのことだが、今から須崎へ来るとのこと、皆半信半疑で喜んだ。 福岡氏が来たので、夕食の刺身等買い出しに3人が出かけた。 今日も明るいうちから宴会が始まってしまった。 誰か1人クーラーボックスを提げてやって来た。 須崎ヨットクラブの前田信男氏だった、「もう氷が無いと思うて氷持ってきちゅうで・・」クーラー一杯の氷とカンビール12本提げてわざわざ来艇、差し入れしてくれた。 本当に有り難う御座います。 前田さんは夕刻から、親戚の集まり?で帰らなければならないとのことで、それ迄の時間をビール飲みながら団らんした。 前田さんの話しでは、柏島を過ぎて行き交わした高知のヨット2隻の内1隻は「異骨相」とのこと。 「異骨相」が四国一周の途中、先日粟島で合って言葉を交わしたのが思い起こされた。 「高知港へ来たときは連絡してくれれば、自分のヨットを出してでも係留場所をつくるから是非来ませんか」有りがたいお言葉でした。 時間が来たので前田さんが帰った後、甥の昌二君が焼酎を差し入れに来艇。 風呂に入りに来ないかとの誘いだったが、人数も多いこともあり皆遠慮して一晩や二晩風呂に入らないのはヨット乗りの常だから、なんてこと言って辞退した。 その後福岡氏が車で帰った。
甥と話しをしているうちに、義兄の漁船のことを聞いたら、隣接している(防波堤を挟んで)漁港に係留しているとのこと、本当に直ぐ近くだった。 甥も帰り、雨も降りそうにない。 甥の話では波高4mを越えているそうだ。 明日も3mくらいは残っているだろうとの事だったが、明日はいよいよ出港だ。 磯崎・大山両氏が残って話が弾む、明日は奈半利まで2人が乗船したいと言い出した。(実はその魂胆で昨日帰らなかった)回送は誰がする?? 満場一致でシゲル氏に決定! 回送する役が決まった。 シゲル氏には悪いけれど宜しく頼みます。 明日の行程では、一気に室戸を越えることも可能だが、室戸を越えると車で帰るに便利が悪いので奈半利港に決めて就寝する。 * 7日目(5月5日(水)) 05:48須崎出港 晴れ 北西風6m 波高3m 今日は波が高いと予想し、05:30に朝食を取ってからの出港とした。 港を出ると、予想通りにうねりが残っていた。 07:20神島を通過し奈半利に船首を向け、オートヘルムをセットしてセールアップする。 うねりのせいでオートヘルムが真面目に仕事しない。 やむなく交代で2時間30分程ラットを握る。
12:25奈半利港奥の岸壁に接岸 早速自転車を下ろす。 川田氏はすでに奈半利港迄来て待機していた。 昼食は特性ラーメンを食し、磯崎・大山両氏は明日からの仕事のため、陸路帰っていった。(ここまでの塵を全て持ち帰ってくれた)有り難う御座います。 軽トラに乗った人が「ここは風当たりがよいので、わしの船に横抱きしたらいいから、あそこに止めている「松丸」や・・、くるなら向こうで待っていてやるから」「あり難う御座います、直ぐ行きます」急いで船を廻したら2人待っていた。 2人で係留ロープを取ってくれて、「これで岡へも上りやすいだろう・・」 その他に「この組合の水や陸電は勝手に使うてかまんから、なんか言われたら「松丸」が使ってよいと言った、と言えばいいわ」。 親切な人は何処にも居るものだ、ありがたい事です。 但し水も沢山あるし、陸電も必要なかったので、全く使用しませんでした。 奈半利の漁業組合には、氷の自動販売機(大型で清水で製氷した漁業用)があり、氷の補給も大丈夫でした。 オッサンとシゲル両氏は自転車で散策し、「ホテルなはり」に温泉があり、電話すると迎えに来るようだとの事。 早速温泉に入ろうと川田氏が電話した。 やがて送迎車が迎えに来たので、それに乗ってホテルまで行き温泉に入った。 硫黄の臭いがする良い温泉でした。(温泉のみ¥500) * 「ヨットマンは金を使わずに、塵を置いて行く」悪い風評を少しでも無くそうと、いつもの通りではあるが、今回の航海も全ての塵を持ち帰る・美味しい食事所があれば食事する、現地調達出来る物は現地調達する、をモットーに計画し実行した。」 近チャンの発案で、鋏で切れる塵は全て鋏みで切り刻んでボリュームを少なくする。 空き缶はハンドプレスでプレスし、ボリュームを少なくする。 近チャンは暇があれば、紙類とプラスティック類を分けて、鋏で切り刻んでいた。 近チャン御苦労様。 皆さんご協力有り難う御座います。 おかげで塵は1/5以下になりました、これからも続けていこう! 「ホテルなはり」での食事は、鯨の刺身・マグロの臓器その他刺身類、勿論生ビール一人二杯飲みました。 鯨の刺身は久しぶりのためか非常に美味しった。 帰りもマイクロバスで送って頂き、有り難う御座いました。 明日は、甲浦港・浅川港・牟岐港・大島のいずれかへ入港予定として、寝ることにした。 又4人なり少し寂しい気がする。 航行距離:75km(46.6マイル) 航行時間:06:37 平均速度:11.3km/h(6.1kt) * 8日目(5月6日(金)) 05:45奈半利出港 晴れ 西風4m 波高2m 07:10ジブUPするも、直ぐ下ろす。 07:30鯨発見、体長10mは有るだろう。 背を出し汐を吹き上げ背鰭が見え、その後尻尾迄の時間が長く感じられた。 テレビで見た鯨そのものの泳ぎである。 全員見とれてカメラで撮影するのも忘れていた。 何度か汐を吹いてやがて見えなくなった。 あー撮影を忘れていた。 金を出してホエールウオッチングしてもなかなか見られないのに・・・。 でも我々は本当に幸運だった。 室戸岬の手前で沖から港(奈半利・室津・室戸?)へ帰る?数え切れない程沢山の漁船が(実は数える余裕がないほど)、我々の進行方向の右方向から近づいて来る。 船速を落としたり、上げたり、右転針したり見張を怠れない状況が続く。 室戸岬通過後は牟岐大島に進路を取り、オートヘルムに舵取りを任せる。 この調子だと大島へは、昼過ぎに着くので足を伸ばし、日和佐入港に変更した。 トローリングの仕掛けは入れているが何も釣れない、釣れるのはガラ藻くらいでる。 突如船体に振動が出て低速が落ちる。 ガラ藻がペラに絡んだと判断してアスタンに入れ回転を上げるが正常には戻らない。 数回繰り返して何とか正常にもどった。 この海域はガラ藻の漂流が非常に多い。 12:30牟岐大島通過、一路日和佐港に向かう。 日和佐港の前に来たが、入口が狭く分かり難い。 港湾案内図とGPSプロッターをニラメッコしながら入港する。 外洋に面している港は何処も入口が狭く奥深い所ばかりである。 波浪の進入を防止するための構造でこうなるのだろう。
航行距離:96km(59.7マイル) 航行時間:7:50 平均速度:12.3km/h(6.64kt) *9日目(5月7日(土)) 07:30日和佐出港 晴れ 無風 波高1m 朝起きて船外に出ると、直ぐ前にヨットが係留されている、「マキシ34」である。 近チャンは入港を知っていて、夜走りで先程来て4人縛睡中・・・。 エンジン始動し、出港準備していると船長が眠そうな顔して出てきた。 西宮の船で、四国一周中だが、予定日数の関係でオーバーナイトしたそうだ。 「我々は出港しますので、ゆっくり休んで下さい。又何処かで合いましょう」話しも十分しないで出港した。 今日は淡路の沼島入港予定だ。 伊島の沖を通過して沼島を目指すことにした。 日和佐港を出て巡航速度に上げるとまたしても振動がでる、又藻が絡んだのか?アスタン1回では正常に戻らない、数回アスタンしてなんとか正常になる。 10:20伊島通過、沼島に進路を取る。海図を見ていたシゲル氏が福良も鳴戸に近いから潮待ちには便利かも・・と言い出した。そういえばそうだ福良にしよう! 距離は少し遠いが時間は十分ある、福良に向け転針。 少し風が吹き出したのでセール上げるも効果なし、昼食はラーメンで済ます。 14:45福良港内の北側漁港の岸壁に横付けした。 早速何時もの両氏が自転車部隊で出発したが、買い物をして直ぐ帰ってきた、風呂はなし、買い物も徒歩では遠いとの情報であり、船の中でくつろぐ。
航行距離:79km(49.1マイル) 航行時間:7:15 平均速度:12.7km/h(5.9kt) *10日目(5月8日(日)) 04:00福良出港 晴れ 無風 波高0.5m 暗闇の中GPSと鳴戸大橋の明かりを頼りに本船航路を目指す。 少し艇速が遅いのが気になったが反流のせいだろう。 やがて本船航路付近に近づいたので右へ転針して、本船航路を大橋に向け航行、艇速はGPSで6ktと少し遅い。 その時はまだ汐に乗ると信じていたので不安は無かったが、何気なくGPSの船速を見ると4kt近くまで落ちている、「アレッ」と思ったが大橋に近づいているので、不安ながら進んだ。 大橋に近づくほど艇速が落ちる、だが進むしかない。 大橋の直下近くに差し掛かった時は、暗闇の中に一段と黒い流波が立ち、歯を剥いて襲い掛かってくる。 舵を取られるので必死でラットを握り、右に左に舵を取りながら船首方向を安定さそうとするが、船首を振られる。 エンジンを2500rpmから3200rpmに上げる、一瞬上を見るとほぼ直下少し前である。 流波の真っ直中に入り、船が波に翻弄される「ガチャーン」うわー、電子レンジが吹っ飛んだ! そんな事よりこっちが大変だ。 船首が90度近く振られた。 慌てて反対に切るが戻らなければ一旦転針して出直そうかと、一瞬頭の中をよぎる。 何回か繰り返して、後20m程で波から抜けられる、頑張れ[ADOG-]]。 一瞬上を見ると、大橋の中央を越えているように見える。 後10mだ頑張れ、自分に言い聞かせながら時間が過ぎ、一定の場所で出来る流波を通過するのに、スゴーク長い時間が掛かったような気がした。 04:40無事???鳴戸海峡逆汐で通過。 二度と逆汐では通らないぞ!! 後で調べたら、02:26南流最強8.1kn 05:45転流でした。 つまり、1時間少々早すぎた為に南流に逆らって通過する羽目になったのです。 海峡を越え少しして空が明るくなった。 ここからは知っているコースだ。 鳴戸の日ノ出湾から多度津迄がこの船初めての航海だった。 当日は荒天で風速20mを越える大荒れで、瀬戸大橋線(JR)が止まった程の風であった。 その時は8時間の予定が10時間を越え、2月の寒い中を砂が顔に当たる様な痛さのスプレーを浴びながら、ずぶぬれで操船した事を思い出した。 07:25小豆島地蔵崎通過。 09:25男木島灯台通過。
11:05瀬戸大橋通過。小槌島のあたりで逆汐になる。 12:15多度津港係留場所に到着係留。 航行距離:105km(65.2マイル) 航行時間:8:15 平均速度:12.7km/h(6.9kt) * 航海に使った費用 1. 直接費用 @ 食材・調味料・ラーメンその他 ¥46,303 A ビール12箱(24x12=288本) ¥35,720 B 外食費(佐田岬港・奈半利港) ¥33,840 C 燃料(免税軽油120L)¥5,640(一般軽油130L)¥11,270 D 補充用OIL(4L) ¥1,025 E 臨時検査手数料 ¥10,000 F 自己発煙信号 ¥14,700 小計 ¥158,498 *上記@からDは乗員4人で割り勘致しました。 2. 準備費用 @ドジャー(シートのみ) ¥45,990 AGPS地図カード(南四国) ¥31,130 B海図(五枚) ¥18,375 C小型船・PB用港湾案内図(3冊)¥12,390 小計 ¥107,885 合計 ¥266,383 *夢に向かって 話せば古くて長い話しになりますが、出来るだけ要約して書くことに致します、 私の夢は、ある一冊の雑誌から始まりました。 その雑誌の名前は「舵」又は「モータボートアンドヨット」のどちらかと記憶しています。 なにしろ今から47年昔の事で、その雑誌に一枚の「キャゼットクラス」ディンギーの簡単な図面が付いておりました。 元来海の近くで生まれ、海で遊び育った為か、海が好きだったので、よし!造ってみようと決断したのが、昭和32年でした。 「キャゼット」は長さ12ft、キャットリグでしたが、図面通りでは面白くないので自分で図面を書き、改良いたしました。 その改良点は5点でした。 改良点 @全長12ftを13.5ftに長くした。 Aキャットリグをスループリグにしてセール面積をあげた。(ジブ面積がプラスになる) Bセール面積アップのため、マストを5.5mと高くした。(メーン・ジブ共に面積UP) Cセンターボードを鋼板(亜鉛ドブ付け)の9tでバラスト効果を出し復元力を上げた。 Dオープンデッキ仕様であったが、デッキを設けてコックピット幅を60cmと狭くして、90度ヒールでも浸水しな いようにした。 これで世界に1艇しか無いオリジナル艇が出来上がる、こう思いながら8畳の間で、鋸屑と鉋屑を避けてパイプベット暮らしが半年続いた。 製作時の苦労話しをしていたら、幾らページ数を増やしても終わらないので・・・。 完成は昭和33年春でした。 私の考えた通りの船に仕上がり、微風から強風迄対応出来る、まさにオールラウンド艇が出来上がった。(一度も沈した事なし) そのディンギーで夜中に瀬戸内海横断した事、一晩中漂流した事、台風が来た時に無謀にもセーリングした事等が今でも思い起こされます。 事実このディンギー製作時、オッサンは毎日のように手伝ってくれたし、現大倉工業の会長である石黒治也氏(大学時代国体選手)も手伝いに来て頂いた。 石黒さんが私の艇に初めて乗った時、「これはスナイプより性能がいいねー」なんて、誉められたのを記憶している。 本当に幅広いパホーマンスを持つ船でした。 その後、次は外洋クルーザーを自作し、太平洋横断(その時はハワイを目指す)を計画致しました。 行程が幾ら、余裕をみて幾ら、水が一日何リッターで・・・、米が何日分・・・、船の大きさ(長さは、幅は、深さは)等々を計画しておりました。 そんな時、会社から東京工場へ転勤の命令が出ました。 会社を辞めてでも実行すべきか、それとも3年間辛抱して時を待つかの選択に迫られた。 あの時、船の製作に掛かっていたなら、辞めて計画実行だったと思う。 3年辛抱しよう、それが私の選んだ道でした。 その後に、堀江健一氏・鹿島雄三氏が続けて太平洋を横断した。 私は別に記録をつくる気は無かったのですが、寂しい気分でした。 3年半で帰って来たものの、仕事が忙しく時間に追われる為、モーターボートに変更し、その後自作モーターボートを二隻、中古購入モータボートを四隻乗りましたが、その後はセールボートに戻り、自作クルーザー一隻、中古購入クルーザーが二隻、総数十隻目が、現ADOG−]です。 セールボートに戻った時、60才定年からロングクルーズに出ようと考えていましたが、会社は辞められず、結局現在も現役で勤めています。 それでも65才になった事をきっかけに、先ず四国一周から始め、次次と足を伸ばして行こうと考え、今回それを実行したのです。 最後になりましたが、須崎ヨットクラブの前田さん、奈半利の「松丸」船長、その他道中で声を交わした方々、皆さん「有り難う御座いました」又途中参加・クルーの皆さん「有り難う御座いました」 次のロングクルージングも宜しくお願い致します。 ![]() イルミネーションで飾ったADOG-]
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