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1842年、イゼオ(Iseo)湖畔の小さい北イタリアの町に誕生したRIVA(リーヴァ)。 おそらく世界で最も名前の知れた造船所の1つといってもいいだろう。 RIVAというブランドネームを付けた最初のプレジャーボートが発表されたのが1950年。 すでにその卓越した造船技術とレースで鍛えられた走行性は知れ渡っていたが、その優雅さと贅沢な雰囲気を醸し出すリ−ヴァは、瞬く間にその存在を確立していった。 AQUARAMA(アクアラマ)に代表されるそのマホガニー製のスタイリッシュなボートは、FRPボートが全盛となっても、リ−ヴァの象徴として1996年まで生産が続けらた。 ■1996年まで建造されたリ−ヴァのシンボル「アクアラマ」 イタリアの北部、イゼオ湖の湖畔にあるリ−ヴァを初めて訪れたのは、もう10年も前のことである。 リーヴァの象徴的モデルであるアクアラマを見に、コモ湖のホテルからタクシーを飛ばしていった。 その時に対応してくれたスタッフは「このアクアラマはリ−ヴァのシンボルとして、これからも艇数は限定されるが造り続けていく」そう話していた。 しかし、それから1年後の1996年、象徴として造り続けてきたマホガニー製のエレガントなボート「アクアラマ」は、784艇を建造して生産が打ち切られることになった。 1950年に後継者として造船所を引き継いだカルロ・リーヴァが、これまでの経験と威信を生かしながら、美しく、そして高い走行性能をもつプレジャー用のボートの建造を開始。 「TRITONE」「CORSARO」、そしてベストセラーモデルのひとつとなった「ARISTON」など、魅惑的なボートを次々に送りだしていった。 1952年には、17年間で1029艇を販売した「FLORIDA」が、リ−ヴァの成功を確実なものとしていった。 そして1962年、リーヴァのフラッグシップとして登場したのが、全長8.14mの「アクアラマ」である。 上品なフォルムとデザインに、レーシングで培われた驚くべきパフォーマンス。 そして他のどのビルダ−も追従できない木工やファブリックの完成度の高さ。 ボートの価値のわかる誰もを魅了する条件をすべて持ち合わせている。 それはまさに海を駆ける美術品と言えるボートだった。 モナコのレイニエ国王やヨルダンのフセイン国王といった王族をはじめ、ショーン・コネリ−、ブリジット・バルドーといった俳優、そして世界中の実業家がリ−ヴァの造船所にやってくるようになった。 リ−ヴァの虜になったセレブリティの名をあげれば切りがないほどだ。 このアクアラマの存在によって、「Riva」のエクスクルーシブな名声が世界中に知れ渡ったといっていいだろう。 そのアクアラマの評価は、今もまったく変わらない。 モンテカルロのモナコ・ヨットクラブの横にはリーヴァ専用の係留桟橋があり、数十艇のアクアラマがずらりと係留されている。 そういった専用ポンツーンは、カンヌやポルトチェルボなどといった高級リゾート地の港で、当たり前のように見かけることができる。 かなり以前に聞いた話だが、リーヴァを桟橋に着ける時に支払うチップは、他のボートと一桁金額が違うらしい。 それで最高のサービスが受けられるというのだ。 またメガヨットのオーナーがセカンドボートとして「アクアラマ」を乗り回しているというケースも珍しくない。 全長8mちょっとのボートでこれだけステイタスのあるボートは、そうはないはずだ。 そのアクアラマに乗った時の印象は、今も忘れることがない。 美しく磨き上げられたフォアデッキの先に広がる海を眺めながらオフショアを快走する。 グリップの感触、絶妙なシートのクッションの感覚まではっきりと回想することができる。 「走りはどうだったか」って。 ウッドのボート独特の柔らかさが、まさにエレガント。 それ以外に表現のしようがない。 まさしく伝説のボートに相応しい走りだ。 そのリーヴァも、2000年にはフェレッティ(Ferretti )グループの傘下に入った。 デザインコンセプト、ラインナップなどが見直され、新生リ−ヴァとして、次々にニューモデルがリリースされている。 そのなかで、生産が打ち切られていたアクアラマの後継モデルとも言える「AQUARIVA」が誕生した。 ハルはグラスファイバーだが、そのスタイルや美しいデッキのウッドワークに、シンボルとしての伝統と気品は受け継がれている。 確かに美しいフルマホガニ−のリ−ヴァは、ヒストリカルボートとなってしまった。 しかしアクアラマをはじめとする、伝説のボートたちは、これから先何十年も大切に維持され、愛され続けていくだろう。
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