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                            クリスクラフトについて
     2006年 9月 25日
ボート月刊誌より
この記事は2005年8月、ボート月刊誌に掲載された情報です。

                         

       

■Let me build you a Smith Boat. My models are the fastest”in the world.
「私にスミスボートを造らせて下さい。我々のモデルは世界で最も速いのです」

これは1915年、のちにクリスクラフトを誕生させたCHRIS SMITH & SONS BOAT Co.の前身となるChris C. Smith Boat&Engine Co.が、パワーボートマガジン誌に掲載した広告のキャッチコピーである。
1922年から1972年まで、現在クラシックと呼ばれる数千台のマホガニ−製のクリスクラフトが生産されたが、実は、すでにこの時から伝説は始まっていたのだ。

■アメリカンランナバウトの象徴
マホガニーで作られたクラシックなランナバウト。
それはアメリカの古き良き時代を象徴するライフスタイルのひとつといっていいだろう。
それは、まさにクリスクラフトによって築かれた、アメリカンレジャースタイルそのものだった。

クリスクラフトの創業者であるクリストファー・コロンブス・スミスが、最初にボートを造ったのが1874年。
木工に関しては天賦の才能を持っていた彼が、まだ13歳の時だった。
それはアヒル追跡のために設計された湖水用のロ−ボートであったという。
まさにそこから世界的なボートビルダ−となったクリスクラフトがスタートしたのである。

そのクリスクラフトが本格的なランナバウトの販売を開始したのが1922年の2月。
クリスと彼の息子たちで設立したChris-Smith&Sons(クリス・スミス&サンズ)というボートビルダーを始めてからだ。
もちろんそれ以前にも、カスタムメイドで、ランナバウトやレーサーを建造していたし、1915年のパワーボートマガジン誌にも、カスタムボートの広告が掲載されている。
しかもレースにも積極的に参戦し、王者Gar Woodを撃破したり、数々のレースで輝かしい成績を残していた。
ハルデザイナーとボートビルダ−としての能力の高さは多くの関係者を驚かせ、その時点で、すでにその名は知れ渡っていたのだ。

しかし スミスは、そういった一部のレーシングマニアのためのための一元的なボートビルダ−で安住することを望んでいなかった。
新しいボートビルダ−の設立によって、スミスの野心溢れるプロジェクトが開始されたのである。
 
それが美しいランナバウトによるプレジャーボートの販売である。
当時、レジャーでエンジン付きのボートを楽しむというスタイルは、それほど一般的なものではなかった。
ハイソサエティのヨットライフの延長線にあった排他的なエンターテイメントを、これからの時代の新しいトレンドとしてより多くの人が楽しめる世界にしていくという思いが、クリスクラフトの伝説を生み出したのだろう。
 
狙いは適中した。
瞬く間にクリスクラフトは、巨大なボートビル帝国を築き上げた。
次々にラインナップを拡大し、1922年からマホガニーのボートの生産を終えた1972年までに、10万艇以上のボートがアメリカだけでなく、英国やイタリア、フランスでオーナーの手に渡された。

■伝説となったボート「コブラ」

クリス-クラフトはマホガニーと真鍮だけではなく、夢も販売したといわれている。
20年代から30年代にかけて高度成長する経済。
モータリゼーションの高まりやレジャーの重要性が叫ばれるなかで、急激に変化するアメリカ社会を背景に、クリスクラフトの示す最新のライフスタイルは、安らぎと贅沢を願望する裕福なミドルクラスを魅了するには十分だった。
買い手の90%が経験豊富なヨットマンたちではなく、まったくの初心者たちだったという。

レースで培われた絶対的なスピード、優れた安全性、そして、スポーティでエレガンスな雰囲気を低価格で手に入れることができるという戦略が、瞬く間にクリスクラフトの名を世界中に拡げていったのだ。

もちろん、自動車産業を変えた新しい規格化生産方法をボートの建造に取り入れたり、エンジンのライン生産やフィリピン産のマホガニーのボリューム購入まで、生産効率を高めながら、クオリティの高いボートを提供していくという現代のボートビルダ−に通じるシステムも次々と導入していった。
さらに分割購入を可能にしたのも時代の最先端だった。

確かに、フランク・シナトラやヘンリー・フォード、キャサリン・ヘップバーン、エルビス・プレスリーといった多くの有名人もクリスクラフトを楽しんでいた。
加えて、フランクリン D. ルーズベルトとジョン F. ケネディの2人の米国大統領がクリス-クラフトのオーナーだったという事実も、当時のエスタブリッシュメントを刺激した。
彼らは家族と一緒に、リラックスするのにクリスクラフトを使用していたという。

しかし、エレガントで手頃なランナバウトによって、一般の人たちがボーティングという新しいレジャーをライフスタイルに取り入れるようになるまで、それほど時間が掛からなかったことは歴史が証明している。

その芸術品のようなマホガニー製のランナバウトは、現在では建造されていない。
当時ライバルだったセンチュリーやコレクトクラフトなどといった古参のボートビルダ−も同様だ。
しかしアメリカでは、未だにこのクリスクラフトのクラシックシリーズの人気が高い。
レストア市場でも、美しく再生されたランナバウトが販売されている。

そういったクリスクラフトの中でも、1955年に106艇だけ建造されたは、まさしく当時のアメリカンドリームを象徴するようなランナバウトだ。
多くのレストアボート・コレクターは古いゴブラを捜し回り、クラシックボートファンは、美しくレストアされたコブラが売りにでるのを待っている状態だ。
スリッパ−ランチを思わせる美しいテールラインに、ゴールドに輝く飛行機の垂直尾翼のようなキャラクター。
まさしく伝説のボートと呼ぶに相応しい存在感を放っている。

←1955年に56艇だけ生産された21 Cobra(18 Cobraは51艇)。
クラシックボートファンの人気も高く、かなりのプレミア。

レーシングランナバウトの流れを汲み、オリジナルで搭載された最大エンジンは、キャデラックのMシリーズ285hp、V-8 Twin Carb

→クリスクラフトオリジナルのメーター。
メーターパネルには手のこんだ寄木細工が施されている。

こういった部分にもクリスクラフトのウッドワークに対するプライドが感じられる


←おそらく40年代のダブルコクピットのランナバウト。
イベントとはいえ、オーナーもストライプのスーツにスカーフで決めているあたりはさすが。

エンターテイメントとしてボーティングを楽しんでいる

→ボートを離れる時は、さり気なくボルサリーノ帽をダッシュボードに置いていく。

それも古き良き時代のボーティングスタイルなのか

■日本にも存在した1948Chris-Craft18 sportman
もう25年以上も前のことになるが、日本に1948年のクリスクラフトを所有しているオーナーがいた。
都内のアンティークショップを経営し、真っ赤なビンテージカーの横に置いてあった。
実際に走行できると聞いて、東京の運河で走らせてもらったのだが、その時の印象は強烈だったのを記憶している。
18sportmanというモデルで、エンジンは確かクライスラー。
きれいにレストアされたエンジンで、交換用のパーツ類もすべて供給できるということだった。
 
価格は当時で、確か220万円といっていたと思うが、あまり売る気はないといった感じだった。
それから現在に至るまで、国内でマホガニーで造られたクリスクラフトを目にしたことがない。
おそらく、日本に存在した唯一のクリスクラフト・クラシックだろう。

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